「天ぷら」おもしろ話~屋台から高級料理へ進化~
写真の錦絵は江戸時代末期の嘉永年間に描かれたもの。女が衣をまとった海老天をいかにも美味そうに食べようとしています。串のようなものが見えますが、当時屋台で売られていた天ぷらは揚げたてを串に刺し、天つゆにくぐらせて食べました。片手でつまめて早くて簡単。庶民に人気の食べ物だったといいます。
天ぷらのような油で揚げる調理法は、もともと京都大阪から江戸に伝わったようですが、京阪で油料理が早くから行われていたのは、寺社などが多いことと関係が深いようです。
17世紀後半になると、寺社の灯明用に綿や菜種が大量に栽培され、油の加工技術が飛躍的に進化します。油の値段が下がり庶民も油料理が食べられるようになります。なかでも油が入手しやすい京都では、京野菜や豆腐、湯葉、コンニャクの揚げ物などの精進料理が食べられていました。
天ぷらは明治期になっても依然として庶民の味でしたが、屋台から徐々に店舗に変わっていくにつれ、高級な天ぷら店も出始めます。関東大震災後、関西方面から多くの料理人が東京へ移ったことで、衣を白く揚げ、魚とともに野菜などもネタとし、塩をつけて食べる関西風も普及していきました。天ぷらは進化しながら、日本料理を代表する食べ物になっていったのです。
※参照文献:京都新聞にっぽん食探見
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