2015年5月 2日 (土)

ミラノ万博開幕

5月1日よりミラノにて「食」をテーマとしたミラノ万博が開幕しました。6月7日よりは京都ウィークが予定され多様な形で和食の魅力が発信されます。
これを機会に八坂圓堂でも天ぷらを通じた日欧の食文化交流を紐解いてみました。ご笑読いただけると幸いです。
Screenclip
京都祇園「天ぷら八坂圓堂」
京都市東山区小松町566
075-551-1488
http://www.gion-endo.com/
http://www.facebook.com/gion.endo
■JA京都/(社)京のふるさと産品協会「旬の京野菜提供認定店」
■(社)日本ソムリエ協会会員・協会認定ソムリエ

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2014年4月13日 (日)

~新人板場の抱負~

入社から3週間、つらい日々ではありますが、しっかりと先輩方の話を聞き、段取り良く、早く物事を覚えスムーズに仕事ができるように頑張っていきたいと思います。さらに、技術も上げるよう努力し、少しでも先輩方や圓堂の力になり、お客様の喜ぶ顔が見られるように日々精進していきたいと思います10250123_640141286040345_7981322130
新人板場:斉藤・幸野
京都祇園「天ぷら八坂圓堂」
京都市東山区小松町556
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2012年11月11日 (日)

砥草

とくさ
木賊/砥草/凄い植物

お店や旅館等でもよく見かける植物ですが
刈っても自力で黙々と伸びる彼等の強い様に、今ではたまに励まされてます。
そんな不思議な砥草は、更に凄い存在でした!
・天然素材の紙ヤスリ(茎)
能のお面の最後の仕上げ、刀研ぎ、高級つげぐしの歯、漆器、クラリネット(リード)、そろばん玉、数珠など様々なモノを磨き上げるのに使われました
・江戸時代の大奥の女性や、音楽家の滝廉太郎さんはトクサで爪を磨いていた(ピカピカではなくツルツルになるそうです)
・お薬にもなる(干した茎)
下痢止めや目の充血に使われたとの事
・木賊色がある(20種の緑色の内)
日本の伝統色のひとつ!暗い緑色
・祇園祭の山鉾のひとつ「木賊山」
世阿弥が作った曲「木賊」より 子を思い、一人さみしく木賊を刈る老人の御神体がいらっしゃいます
・冬越しは凍らせなければ大丈夫
・別名「歯磨き草」
・花言葉「率直」「非凡」
砥草の存在を表した言葉

こんなにお役目を持っていたとは…砥草って、格好良いですね。
圓堂では北店、南店どちらにも生けられています。

放っておいたら、どこまで伸びるでしょうか…?

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2012年2月24日 (金)

平家の栄華に思いをはせる「六波羅界隈の町名」

NHK大河ドラマ「平清盛」にちなんで、清盛ゆかりの寺社の筆頭格「六波羅蜜寺」界隈の町名の由来を辿りました。

平安時代後期、平家の拠点となっていた六波羅周辺にはおよそ500軒もの豪勢な屋敷が立ち並んでいたとされています。

中でも空也上人によって開創された「六波羅蜜寺」は平清盛の父忠盛が寺内に軍勢を止めて以来、清盛・嫡男重盛・弟頼盛と代を重ねて平家一門の邸宅が栄えました。

今でも六波羅近隣には小松谷の重盛邸に由来する「小松町」、頼盛邸の大きな池に由来する「池殿町」など、平家の栄華は800年の時を越えて身近な町名として現在に伝わっています。

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その小松町に在る八坂圓堂も、そのような歴史ある町名の中に存在させていただく事に感謝し、恵まれた町並みをこれからも護っていかなければならないと考えて居ります。

京都祇園「天ぷら八坂圓堂」
京都市東山区小松町566
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2011年10月29日 (土)

ソムリエ試験レポート

本年も八坂圓堂スタッフから2名のソムリエ資格を受験いたしました、以下は合格をした接客係主任:島口の受験レポートです。受験を一考されている方々などに参考になればと思い掲載させていただきました。

ソムリエ資格受験レポート/島口 優

Img_00881 今年、ソムリエになるための試験(正式名称は平成23年度ソムリエ・ワインアドバイザー・ワインエキスパート呼称資格認定試験)を受けました。飲食店で働いている以上はさまざまなお酒の知識は必要不可欠だと感じていました。しかし、日本酒や焼酎と違いワインはブドウの品種から生産国、格付けやドメーヌまで幅広く国によっても基準が違うので、本を

読んで独学で勉強しても自分には難しいと諦めていました。一方ではワインの知識もないのに天ぷらに合うワインは?とお客様に聞かれ答えている自分に違和感を持っていたのも事実で何とかしたいとは強く思っていました。きっかけはあるソムリエールと出会ったことです。彼女は私が受ける前年にソムリエの試験に合格していました。彼女も私と似た境

遇で自分の働いている店のワインのことを知らずに薦めるのはいやだという理由で、試験勉強を始めわずか一年で資格を取ったというのです。同じ思いを持って資格をとった彼女の薦めもあり、わたしも勉強してみたいという気になりました。

 彼女からソムリエ資格を取るために教えてもらったのが某ワイン塾でした。多くのソムリエ資格取得者が通うワインスクールで、スパルタだと有名だそうです。まずソムリエになるための試験は学科がある一次試験、一次試験合格後に受けるブラインドテイステイングやサービス実技の二次試験にわけられます。出題範囲は日本ソムリエ協会が出している教本から選出されるため勉強はその教本を用いワイン法や格付け、ブドウ品種を各国ごとに勉強していきます。またワインだけではなく日本酒やビールなどワイン以外の酒類、その他公衆衛生についての知識も求められます。ある程度の覚悟はしていましたが、やはり相当勉強しないと受からないようで、まず井上塾に行って言われたことが、「飲むよりもまず勉強してください。」「今年の夏は遊べないと思ってください。」ということでした。学科試験に受からないと意味がないので当たり前のことです。現に試験一ヶ月をきったら仕事に行く以外ほとんど家から出ずに勉強していたように思います。

 学科の勉強法はとにかく暗記するしかないということです。一回の授業で学んだ範囲を次の授業までにはすべて覚えていなければならず、その量は膨大です。時間が全然足りないため毎回必死で勉強しました。慣れないフランス語、イタリア語で格付けやブドウ品種を覚えるのは大変で呪文のように唱えてみたり、とにかく何回も書いてみたり、苦労しました。朝起きて一時間、仕事の休憩時間、夜寝る前の30分、休日はほぼ一日中教本とにらめっこ状態で、学生のときの試験勉強を思い出しました。頭の中はいつもワインのことでちょっとでも?と感じることがあったら教本や資料を引っ張り出して見るようにしていました。ただ学ぶことをつらいと感じるより面白いと感じることのほうが多かったように思います。試験勉強を始める前には読んでもわからなかったワイン本を再び読み直すと理解できるようになっていたり、勉強した国や品種のワインを買って飲んだり、いままでワイ

ンのラベルをみてもさっぱりわからなかったのにラベルを見て味をイメージできるようになるのは楽しかったです。わからなかったことを理解していくのは半年間の受験勉強の中で成長の証であり、続けていくことの楽しみでした。

 一次試験は8月22日に京都の試験会場はホテルオークラで行われました。大きい宴会場のような広間にざっと見渡しただけでも200人以上の受験者がおり、隣の部屋にも受験者がいました。皆席に着いたらすぐに教本や自作のノートを広げ勉強しており、緊張した空気が会場全体に充満していました。試験は70分、100問マークシートによる筆記試験です。

前年まではフランスとイタリアの問題数が多いのでそこを中心に覚えると合格できると云われていました。しかし、今回の試験内容はフランス、イタリアの出題数が少なく各国幅広く出題されていたように思います。必死でボルドーの格付けやイタリアのDOCGを覚えたのに、たった一問しか出題されませんでした。試験内容は最近のワイン市場が反映されるということなので、やはりこれからはどんどんフランス、イタリア以外の国のワインが

注目されていくということなのでしょう。今年の試験は偏ることなく各国まんべんなく勉強していた人のほうが高得点を取れた内容だったように思います。 結果発表は二日後の24日でした。学科試験は平均70点が合格ラインといわれており、私の自己採点は83点だったので受かると思っていましたが、やはり少し不安と緊張はありました。番号を見つけたときもほっとしたのと、これから二次試験に対しての不安でいっぱいでした。二次試験はサービス実技とブラインドテイスティングです。正直、数ヶ月前にいきなり試験勉強を始め、ワインを飲んだ経験の少ない私がブドウの品種や生産国を当てろというのも無理な話です。 私の場合、二次試験対策は余計なことは一切しないで塾で行われるテイスティング講座に任せました。塾では学科のときとは違い「毎日飲みなさい。」「同じ品種の生産国が違うものを飲み比べろ。」などいろいろ家で行える対策を教えられたのですが、自分ひとりで行うには金銭的にも体力的にも限界があるので効率的に出そうな品種だけを覚えることにしました。たくさん飲むより出題されそうな品種をピンポイントで覚える。知らない品種が出たら諦めると決めました。ただし、一度飲んだ品種と生産国は絶対に忘れないように例えばカベルネ・フランはピーマン臭すぎて嫌いとか、自分はピノ・ノワールとサンジョベーゼを間違いやすいなど、ワインの表現としてはかなり間違っていくかもしれないのですが、自分なりの表現でメモを取ることを行いました。またいくつか試飲会にも出席させていただきました。私が二次試験を受けると試飲会の方に報告すると、とても親切に品種の特性や見分け方を教えてくださり今までの出題傾向や今年はこの品種が出るのではと予想までしてくれました。現にその品種が試験で出たので、とても感謝しています。塾以外でも同じソムリエ試験を受ける方に誘っていただき、その方の職場にお邪魔して、職場の先輩ソムリエから実技とテイステイングの練習をさせていただくこともありました。初めてお会

いする方たちでしたがとても親切丁寧に皆さんに教えていただくことができて感謝しています。先にも述べたように自分ひとりで行うには二次対策は限界があります。受験する人たちがつながり共に勉強できたことはとても励みになりました。

 二次試験は9月26日にホテルオークラで行われました。まずはブラインドテイステイングから行われます。試験が始まると5つのグラスに入ったワインとその他のお酒が運ばれてきます。今年はワイン3種類(白1種類、赤2種類)とその他のお酒2種類の合計5種類が出題されました。今年からブラインドテイステイングの品種が1種類増えることになっていたのですが、みなワインが4種類になるだろうと予想していたので、増えたのがその他

のお酒だったため、驚きと戸惑いが試験開始直後から受験者全員にあったと思います。

 まず、一番目のワイン。色調は濃く輝きのあるイエローでした。香りの印象が強くはじめアロマティックな品種だと思いました。選択肢を見てゲヴェルツトラミネールがあったため選択したのですが、結局ゲヴェルツトラミネールのスパイシーさやライチの香りがするかに疑問が残っていたため試験終了の5分前にシャルドネに変えました。これが見事正解でした。ただ樽熟成されたシャルドネいうのはわかっても生産国を当てるのが難しく、

味わいやボリューム感からフランスではないと思ったのですが、ほかの選択肢のオーストラリアかアメリカこの二つどちらかがまったくわかりませんでした。オーストラリアのシャルドネで似た味わいのシャルドネを飲んだのを思い出し、オーストラリアを選択したのですが結果はアメリカでした。後から受験者同士話してもどちらの国かを見分けるのは難しいと議論になりました。

 二番目のワインは、色調は黒みがかったルビー色で香りはブラックベリー系の香りにスパイシーさがあり、なによりアフターに苦味や乾く感じがありました。アフターにこの特徴があるのはイタリアワインしかないと思い選択肢をみるとサンジョベーゼがあったため迷わず選択しました。また、年代もサンジョベーゼーキヤンテイだとしたら2010ではないし、2004年にしてはエッジに熟成した色調が見られないと思い2007年を選択したところ

見事正解で品種、生産国、ヴィンテージとすべて当てることができました。苦手な品種だったため、当てられたことはとてもうれしかったです。

 三番目のワインは、色調は紫がかったガーネットでスパイシーさや黒果実の甘みがありました。タンニンもやや粗めでこれらの特徴からシラーで間違いないと思ったのですが、問題は生産国です。後から考えるとコンフイチュールした果実の甘みが強くあったと思います。ただはっきりとオーストラリア特有のユーカリ香を捉えることができなかったので私はタンニンの粗さや青さにだまされフランスにしたのですが、正解はオーストラリアの

シラーズでした。ヴィンテージも当てられず品種のみの正解でした。 四番目、五番目はその他のお酒です。四番目に出たのはスーズという色調が濃い黄色で特徴的だったため迷わず選択でき、正解でした。五番目のお酒は、色調は透明でアルコールは相当高くグラスに足ができていました。アルコール度数が違うのではないかと思いながらも味は麦焼酎に似ていたので選択したのですが、やはり間違えで正解はテキーラでした。その他の品種に関しては経験不足、練習不足だったと感じています。たまたま知っていたのが出たのでスーズは当てられましたが、エキスパートの試験には、ヴォッカとドライベルモットが出たと聞き、この二種類だったら当てられなかったと思います。ワインの試験なのにその他のお酒の出題数が増えたことは、これからはバーテンダーとソムリエという境界がなくなりつつあるのかもしれません。 ただブラインドテイステイングは総合的に見て、5種中4種品種を当てているので良くできたぼうだと思います。問題はサービス実技のほうでした。サービス実技はワインのオーダーを受け、抜栓、デキャンタージ1,お客様にサーブするという一連の流れを一人の試験管に対して受験者二人が行います。一番難しいのはデキヤンタしたワインボトルの残量です。多すぎると他のサービス技術やテイステイングがよくても落ちると聞いていたのですが、わたしはデキヤンタージュし終わったボトル内にワインを残した量が若干多いような気がして、試験後不安と後悔がずっと残っていました。

 結果発表は10月14日正午に日本ソムリエ協会のHPで発表されました。実技の不安を抱えながらの約20日間はつらく長かったです。後悔は一日だけにして後は忘れようと思うのですがあの時もうちょっとワインを注ぐのをやめずに辛抱していたら、といろいろ振り返る瞬間が何度もありました。結果発表は一次とは比べ物にならないほど緊張しました。自分の番号を見つけたときは肩の力がぬけて、喜びよりもほっとする気持ちとやっと終わったという気持ちが強かったです。

 ソムリエは資格を取ってからが勉強の始まりだと言われています。ただ何も知らなかったときよりワインは面白く、そして難しい、学ぶべきことはまだまだ多いと感じています。やっと踏み出せた一歩なのでこの資格をどう生かしていくかがこれからの課題です。

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2006年8月 8日 (火)

「天ぷら」おもしろ話~屋台から高級料理へ進化~

写真の錦絵は江戸時代末期の嘉永年間に描かれたもの。女が衣をまとった海老天をいかにも美味そうに食べようとしています。串のようなものが見えますが、当時屋台で売られていた天ぷらは揚げたてを串に刺し、天つゆにくぐらせて食べました。片手でつまめて早くて簡単。庶民に人気の食べ物だったといいます。Photo_15

天ぷらのような油で揚げる調理法は、もともと京都大阪から江戸に伝わったようですが、京阪で油料理が早くから行われていたのは、寺社などが多いことと関係が深いようです。

17世紀後半になると、寺社の灯明用に綿や菜種が大量に栽培され、油の加工技術が飛躍的に進化します。油の値段が下がり庶民も油料理が食べられるようになります。なかでも油が入手しやすい京都では、京野菜や豆腐、湯葉、コンニャクの揚げ物などの精進料理が食べられていました。

天ぷらは明治期になっても依然として庶民の味でしたが、屋台から徐々に店舗に変わっていくにつれ、高級な天ぷら店も出始めます。関東大震災後、関西方面から多くの料理人が東京へ移ったことで、衣を白く揚げ、魚とともに野菜などもネタとし、塩をつけて食べる関西風も普及していきました。天ぷらは進化しながら、日本料理を代表する食べ物になっていったのです。

※参照文献:京都新聞にっぽん食探見

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天ぷら「おもしろ話」~江戸時代は屋台で~

天ぷらは謎に包まれた食べ物です。今でこそ寿司とともに日本料理の代表として君臨していますが、そもそも「天ぷら」は日本料理なのでしょうか?

江戸時代、天ぷらはもっぱら辻売り。つまり屋台で売られていました。テンポラ、テンペロ・・・天ぷらの語源を調べるといくつかの説があります。いずれもスペイン語やポルトガル語などがなまったと言われるものですが、どれもはっきりとしたことは分かっていません。Photo_14

室町後期には南蛮料理のなかに「テンフラリ」という天ぷらの原型のような料理が現れます。鯛に小麦粉をまぶし豚の油で揚げたものに、雁、白鳥、雉、小鳥の肉のたたきあんかけだったと言います。「てんぷら」という呼び名は江戸時代の文献に初めて登場します。

天ぷらにまつわる興味深いエピソードに、徳川家康の死因説があります。家康は鯛の天ぷらにあたって死んだというものです。ことの真偽はともかく家康が食べたものは当時、京都大阪で「つけ揚げ」と呼ばれていた食べ物。このつけ揚げが江戸に伝わり、天ぷらとして急速に普及していきます。

江戸では海老、貝柱、穴子、コハダなど、魚介類を揚げたものを天ぷらと呼びました。京都大阪ではもっぱら「つけ揚げ」と呼ばれ、京阪で天ぷらといえば、さつま揚げのようなものを指していたようです。

外来文化の影響を強く受けながら、江戸庶民の間で人気を得た天ぷらは、さらに西と東の文化が重なり合って現在の姿に近づいていきました。

※参照文献:京都新聞にっぽん食探見

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